『未必のマクベス』と『アゲハ蝶』

偶々、『未必のマクベス』(早瀬耕)を読み返している時期に、ポルノグラフィティの『アゲハ蝶』を聴いたのですが、面白い発見がありました。

以下、歌詞引用。

ヒラリヒラリと舞い遊ぶように
姿見せたアゲハ蝶
夏の夜の真ん中 月の下
喜びとしてのイエロー 憂いを帯びたブルーに
世の果てに似ている漆黒の羽

旅人に尋ねてみた どこまで行くのかと いつになれば終えるのかと
旅人は答えた 終わりなどはないさ 終わらせることはできるけど

そう…じゃあ お気をつけてと見送ったのはずっと前で
ここに未だ還らない
彼が僕自身だと気づいたのは
今更になってだった

※あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
世の果てでは空と海が交じる※

詩人がたったひとひらの言の葉に込めた 意味をついに知ることはない
そう それは友に できるならあなたに届けばいいと思う

もしこれが戯曲なら なんてひどいストーリーだろう
進むことも戻ることもできずに
ただひとり舞台に立っているだけなのだから

あなたが望むのなら この身など
いつでも差し出していい
降り注ぐ火の粉の盾になろう
ただそこに一握り残った僕の想いを
すくい上げて心の隅において

(※くり返し)

荒野に咲いたアゲハ蝶
揺らぐその景色の向こう
近づくことはできないオアシス
冷たい水をください
できたら愛してください
僕の肩で羽を休めておくれ

以上、歌詞引用[1]http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=66180

 

本書を読まれた方はピンときたと思われます。

恋愛小説に分類されるらしいので、全体としてこの歌詞と合致する部分があっても何ら不思議なことではないと思うのですが、一番の「旅」と二番の「戯曲」はこの小説のキーポイントそのものです。

「旅」は冒頭の問いかけや、各章末での主人公・中井優一が「旅」の進捗を確かめる描写が特徴的で、「戯曲」はタイトルの通りシェイクスピアの悲劇『マクベス』を表していることは本文中で何度も指摘されています。

特に、

旅は「旅人に尋ねてみた どこまで行くのかと いつになれば終えるのかと
旅人は答えた 終わりなどはないさ 終わらせることはできるけど」と「彼が僕自身だと気づいたのは今更になってだった」の部分が、

戯曲は「もしこれが戯曲なら なんてひどいストーリーだろう
進むことも戻ることもできずに ただひとり舞台に立っているだけなのだから」の部分が本書で似た内容が出てきます。

旅人≠ソフィですが、旅人=中井優一はソフィに旅の全容を聞かされます。

戯曲=『マクベス』

ひどいストーリー=悲劇

進むことも戻ることもできず=アペンディクス、と読み替えればしっくりくるかと思います。

本文では「旅」≒「戯曲(マクベス)」としています。『マクベス』という戯曲を旅に擬えている訳です。

サビの「あなたが望むのなら この身など
いつでも差し出していい 降り注ぐ火の粉の盾になろう
ただそこに一握り残った僕の想いを すくい上げて心の隅において」は、ヒロイン(ネタバレ防止)に対する主人公・中井優一の想いが如実に表れていると言えるでしょう。

ざっとこんな感想を持ったのですが、他に指摘してる方は今のところ居ないようです。

『アゲハ蝶』は2001年で、『未必のマクベス』は2014年に発表されましたが、何もアゲハ蝶の影響を受けたと言うつもりはありません笑。陰謀論は嫌いなのです。

ただ、「旅」と「戯曲」に対するイメージは上記のようなものに辿り着く(辿り着き易い)のではないかと考えました。

考察の一助になればと思います。

 

チャウコン

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