「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」は本当か?

 

こんにちは。

寒さを感じることが多くなった気がします。

手前味噌になりますが、受験生から「チャウコンさんのブログを読んでいたら読解力が上がって現代文で高得点が取れるようになった」とメッセージをいただきました。ありがとうございます。読解力を必要としない容易な文章を心掛けます。

 

 

三年前のコメントに返信

さて、今日は三年以上前にいただいた、とあるコメントに返信したいと思います。

『雀の戸締まり』の公開を記念して金曜ロードショーにて『君の名は』が放映され、「新海誠と言えば…」と思い立った次第です。

当時から結論は出ていたのですが、どう書こうか考えていたらこんなに経っていました。

毎日ではないですが一週間に一度は考えていたので、熟成されているか腐っているかは不明です。

 

そのコメントは、ボクが『秒速5センチメートル』(新海誠)を観て感想を書いた記事へのコメントでした。

『秒速5センチメートル』を肯定的に捉えていたボクに対し、他の新海誠さんの作品の方が良いというコメントでした(因みに、『秒速5センチメートル』の感想には「気持ち悪い」「気味が悪い」など否定的なコメントをやや見かけます)。

ボクはそのコメントに「なぜ『秒速5センチメートル』が良いのか、後で書きます」的な返信をして、現在に至るわけです。遅れてしまい申し訳ありません。

 

秒速5センチメートルのポスター

 

「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」とは

よく

「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」

的なことを耳にします。

初出は分かりませんが、少なくとも中高生の時に触れることが多かったフレーズな気がします。まあ、10年くらい前ということでしょう。

一方で、大学・社会に出てからは聞くことはありません。ネットや本で見かけるくらいで、周りの人間がこのフレーズを口にしなくなりました。

なお、ボクが口にしたことは、当時も今もないと思います。

(恐らく中学の部活で)初めてこのフレーズを聞いた時、正直「良いな」と感じました。手応え良好です。上手いこと言ってるな、と感じたものです。

それが、高校を卒業する頃には、「なんか違うな」と思うようになりました。言ってることは間違ってないけど、どうも性に合わない、といった具合です。

なぜでしょう。

 

「やらない美学」は気持ち悪い?

あまり長くなると読んでいるみなさんも大変だと思うので結論を書きます。

「成功すると分かっていて、実際にはやらないのが良い」

です。カッコよく言い換えられる方、教えてください。

 

一見、「キモいな」と感じるかと思います。

ナルシストというか、自信過剰というか。

ビビリなだけじゃん、という正論が飛んできそうです。

 

偶然にも最初に書いた『秒速5センチメートル』の感想にある「気持ち悪い」「気味が悪い」と同じ感想かと思います。

それでも「敢えてしない」という選択を取る目的はなんでしょう。

 

作品から「やらない美学」を抽出してみる

それでは、一緒にざっくりと見てみましょう。

なお、ジェンダーを語るつもりはありませんが、ここ数年間で触れたこのフレーズと似た内容(敢えてしない選択)が出てくる作品は男性視点のものに集中しています。

 

『秒速5センチメートル』(新海誠)

一例が、『秒速5センチメートル』です。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、主人公がやろうと思えば、ヒロインと一緒になることはできたはずです。100%ではないですが、きっと。

なぜ主人公は動かなかったのでしょうか。

 

『One more time, One more chance』(山崎まさよし)

『秒速5センチメートル』の主題歌『One more time, One more chance』(山崎まさよし)』も同様です(参考記事はこちら[1]秒速5センチメートルHP)。

歌詞では想い人を探している視点が描かれていますが、必死になって探そうとはしていません。飽くまで日常生活の中で、この辺にいないかな、とふと思ってしまう程度です。

なぜ本気で探さないのでしょうか。

 

『桜坂』(福山雅治)

『秒速5センチメートル』に因んで、桜ということで『桜坂』(福山雅治)の歌詞も見てみましょう。

「君」をこれほど想っていますが「ひとつになれず」です。結ばれていません。それなのに、「君」を追うのではなく、「憧れ」を追っています。結ばれる気などないでしょう。

かつては頬に口づけをし、自分を分かってくれた「君」。

なぜ追わないのでしょうか。

(なぜ急に『桜坂』を挙げたのかと言いますと、『秒速5センチメートル』の主題歌に『桜坂』も合うと、当時から思っていたからです)

 

「やらない美学」は恋愛に多い模様

このように挙げたらキリがありません。

集計は取っていませんが、どうも恋愛ごとに多い気がします[2]『One more time, One more chance』は、過去の自分を探している状況を歌ったと山崎まさよしさん自身が述べていますが、公式がそう言っているだけです。

1.付き合っている二人

2.トラブル発生

3.別れる二人

4.問題は解決し、お互いに想いあっていて、会おうと思えば会えるのに、会わない二人

この手の展開は、映画を例に取っても邦画・洋画問わず溢れています。4の後に会えばハッピーエンドですし、会わなければバッドエンドです。感動的な音楽が流れればそれっぽくなり湿度が上がります。

 

自分は好きで、相手も自分のことが好きだと知っているのに一緒にならない。そんな経験は割と普遍的にあるのかもしれません。

大事なのは、実行すれば(相手に想いを伝えれば)、80%以上成功するという状況です。相手も自分が好きだという根拠がある場合です。

喋ったことも、縁もゆかりもない人を好きになるのとは違います。

 

恋愛以外の貴重な「やらない美学」の例

恋愛以外の事例も探しましたが、ようやく見つかりました。本当に5年以上探してようやくです笑。

「もったいないことしちゃったね。きっと一流のランナーになれたのに」

と言った。浩治が黙って焼酎のお湯割りをすすっていると、つづけて、

「でも、一流選手になるのもいいけど、自分は絶対一流選手になれたんだって一生思っていられるのも同じくらい幸福かもしれないよね。私なんかそういうのを全然持っていないから、やっぱり羨ましいな」

と彼女は言ったのだった。

白石一文『草にすわる』(文春文庫)より引用

※文春文庫版の解説(瀧井朝世氏)にもありますが、主人公の浩治は作者白石一文の当時(2003年執筆)の状況と似ていて、ただの小説の一場面ではないことは留めておきます。

こちらも、能力がある(恐らく成功する)ことを分かっていて、やらないでいます。

過去の後悔というネガティブを過去の可能性というポジティブに変換しています。

「一流選手になるのもいいけど、自分は絶対一流選手になれたんだって一生思っていられるのも同じくらい幸福かもしれない」

というのは正に、先の恋愛にも言えることではないでしょうか。

 

一緒になれた瞬間は幸福度100だが、その後はよくても80くらいだろう。別れればマイナスにもなり得る。

一緒にならずに、一緒になれたことを妄想し続ければ、幸福度70くらいを一生維持し続けられる。

期待値的には、後者の方が幸福度が高いのかもしれません。

 

まとめ

いかがでしょうか。

必ずしも「やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい」と言えない事象もあるようです(蛇足になるので書きませんが、ボク自身、実体験としてあります)。

 

また、これまで見てきた通り「後悔」というのは見方を変えれば「過去の可能性」と言い換えられそうです。

その「過去の可能性」を勿体無いと完全燃焼させるのが「やらずに後悔するより、やって後悔」の考え方であり、

その「過去の可能性」を一生温かいカイロのように懐にしまっておくのが「やらない美学」の考え方です。

みなさんはどちらが良いと感じますか。

自分の根幹に関わることには「やらずに後悔するより、やって後悔」を、それ以外では「成功すると分かってて、実際にはしない」を適用させるなどと、使い分けるのも良いのかもしれません。

 

ただ「成功すると分かってて、実際にはしなかった」と口にすると、漏れなく「キモい」と反感を買うので注意しましょう。

では。

 

チャウコン

 



草にすわる (文春文庫)

 



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References

References
1 秒速5センチメートルHP
2 『One more time, One more chance』は、過去の自分を探している状況を歌ったと山崎まさよしさん自身が述べていますが、公式がそう言っているだけです。
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