もう2年近く前の放送ですが、今や定番となっているフレーズに
長州力「食ってみな、飛ぶぞ」
があります。
キャッチーかつ汎用性が高いので、そりゃ流行るわけですが、当時視聴していた時から思うことがあります。
そんなことみんな分かってるわ、と思われたら申し訳ないのですが、そこに触れている記事が見つからないので一応。
相席食堂の番組内で、千鳥のお二人はこの発言にウケて
「一回やっとる人なんよ」
「ヤバイ薬やから」
「それ勧める時やから」
とリアクションをしていますが、
あの場面を観ていれば、長州力が「ソフトほたて貝柱」が飛ぶのを注意している、と解釈するのが自然なように思えます(もちろん、そういう編集ありきですが)。
密封(真空?)状態でしっかり包装されているので、力を入れなければならず、そのせいで勢いよく飛び出ることをスタッフに伝えたに過ぎません。
「(美味しいから)食べてみな、(固いけど、力を入れるとふっ)飛ぶぞ」
要は、気をつけて開けろよ、です。
もちろん、これを危ないクスリのように捉えたことで面白くなったのは言うまでもないのですが、同時に思うこともあります。
いわゆるご意見番の評価に自分の評価まで流されてしまう状況は好ましいとは思えません。
「お笑いで有名な千鳥が爆笑したから」
「ひろゆきが論破したから」
「マツコデラックスがお勧めと言ったから」
「インフルエンサーがSNSで絶賛したから」
特に昨今の、ご意見番による権威付けを狙ったメディアは異質です。
ご意見番が個人的に感じたものを共有するのは良いのですが、ご意見番が絶賛・批判しやすいように予め情報を編集するのは、ご意見番のご意見ですらなくなっています(今回で言うところの、「飛ぶぞ」を字幕にしたこと)。
長州力の本来の意図でもなければ、千鳥の純粋な観点でもなく、番組制作者によるものです。
それを長州力と千鳥が権威付する。
マツコに絶賛されると売れるから、情報を拵えて顔色を伺う。
有名な人が発言するので、それに相応の価値が付随するのは当然で、かつ世間に知られるのも当然なのですが、その人が下した評価にまで賛同する必要は全くありません。
半分が(無反応を含む)反対するのが自然です(もちろん、大半が賛同するようにあの手この手で共感を誘う訳ですが)。
著名人によって新たな情報に触れるのは避けられないにしても、著名人のフィルターまで自分に合わせる必要はないということを、改めて感じています。
自分よりもう一世代若い方々の発言を聞いていると、「こういう情報がある」までで止めればいいものを「〇〇が言っていたのですが」まで御丁寧に加える。
その時点で、その人に意見を聞いた意味がなくなる。
リテラシーの講義らしく言えば、孫引きなのだが、孫引き以上にツマラナイ。
友達から「これめっちゃ面白いよ」と言われて、友人のスマホを覗いた時の感覚。だいたいツマラナイ。
面白いか、有用な情報かまでのジャッジは他人に譲らず自分だけが持っておきたいし、「これ面白いと思ったのですけど」と誰もが恐れず言える環境でありたい。
そんな感じです。
チャウコン
コメント
こちらの「飛ぶぞ」の元々の意味に関してですが、
私は元の映像を見たときから「(美味しすぎて意識が)飛ぶぞ」だと思っておりました。
その後調べてみたところ、
トークバラエティ番組で御本人が話されているTikTok動画を見つけました。
もちろん、バラエティ的に面白くなるよう御本人が脚色されている可能性もあると思います。
参考までに共有させて頂きます。
https://vt.tiktok.com/ZSL5U1Qme/
コメントありがとうございます!
ご共有くださりありがとうございます!
そのままの意味だったのですね……恥ずかしい笑
あの手の包装は、よく吹っ飛ばすので勘違いしてしまいました。
ありがとうございます!!
チャウコン