小説一


 「留学でお金無くなっちゃったから」



 卒業間近の僕と三年生の彼女は専攻が同じでもゼミと専門科目以外で顔を合わせることはなかった。彼女は前触れもなくアルバイトを始めた。経済的に余裕のある家庭だと勝手に思っていた。「駅前のスーパー、よく行くでしょ?」



 一年間留学に行った彼女とは卒業年度が異なる。



「貴方に追い付くために行くの」



「またか」



 と思わず僕は零した。彼女が留学に行くという現象はこれで二回目だ。高校時代に交際していて彼女もカナダに留学した。今何をしているのか、連絡先も知らない。僕は留学に行ったことはないし、中学三年生の時に姉妹友好都市で中国に滞在したことを除けば、海外の経験がない。高校時代の彼女を思い出すと、留学はおろか海外自体への嫌悪も生まれていた。



 「そりゃ殊勝なことだね」



 そのスーパーは確かに行きつけの所で、週三回はそこで買い物をしていた。僕は自分がアルバイト中に知り合いに会うのが嫌だから、彼女もそうかもしれない——彼女は僕によく似ていた——と思ってアルバイト先で会うのを避けることにした。シフトを聞いて、その日を避けてスーパーへ行き、偶に(と言っても月に1回くらいに)シフトの日に合わせて顔を出した。顔を出すと彼女は大変喜んだ。予想は誤っていたらしい。



 「またハンバーグなの?」



 「調味料が揃ってると案外簡単なんだよ」その日も彼女のシフトを避けて行ったのに、買い物カゴの脇から声を掛けられた。「今日バイトだったっけ?」



 「さぁね」



 彼女は撫子色のギンガムチェックのシャツに茶褐色のパンツを履いていた。仕事着ではないことは分かった。彼女は黙って粗挽き肉をカゴから取り出すと、別の粗挽き肉のパックと取り替えた。黒く染めた長い髪でよく見えないが、ニヤリと笑っている様子だった。



 「予算オーバーなんだけど」僕が買おうとしていた粗挽き肉は国産豚40%と外国産牛60%で、彼女が取り替えたのは国産豚30%と国産牛70%の粗挽き肉だった。「倍もするじゃん」



 「二人で割れば同じでしょ」



 この時、僕は気付いた。彼女はお金ためにアルバイトを始めた訳でもなければ、僕にシフトを教えて僕が会いに来ることを狙った訳でもなかった。最初から僕が避けるのを知っていたのだ。通りで授業が一緒の日にシフトが入っていた訳だ。その日を避ければ、自ずと僕がスーパーに訪れる日は限られる。大学の時間割を教えている以上、授業後に訪れる時間帯まで把握していたのだろう。



 「買い物の計算が出来ないんじゃ僕に追い付けないと思うけど」



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チャウコン

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コメント

  1. 460 より:
    以前のブログから拝見していましたが、初コメントです。素晴らしい文才にコメントせずにはいられませんでした。作家でないのに(違っていたら申し訳ありません)他の一般的な作家の小説よりも優れていることがこの短編だけでも分かります。良ければこれからも更新していただければ幸いです。
    • chaukon より:
      コメントありがとうございます。文才なんてないです笑
      千字程度が書きやすく、長編を書くイメージは中々湧きません……。
      また読んでいただけたら励みになります!