歴史教科書問題について歴史学専攻・出版社勤務が意見を述べてみる

 

「新しい戦前になる」と表現したタモリ氏が話題となりましたが、ロシア・ウクライナ戦争が今も起きています。

対岸の火事のようなその発言に認識の差を感じましたが、「新しい」にどれだけ意味を含めるかでいくらでも解釈の余地があるので「タモリさんすごいな」と感じた2023年初頭。

それでも、歴史学専攻の人間にとって、「戦前・戦後」という表記は極めて曖昧というか、少なくとも自分は口にしたくない表記であるし、その理屈が通用するなら戦前もしくは戦中が常にあり、戦後は存在しないはずである。

どんな戦後でも、それは戦前に該当すると言いくるめる知識が歴史学専攻にはある。多分。

「金輪際、戦争は起きません」と謎のお告げか説教を全人類が信じない限り戦後は生まれない。

 

 

冒頭が長くなりましたが、歴史教科書、限定すれば高校日本史・世界史教科書における表記で毎年争いが起きる。ボクは最もくだらない戦争()だと思う。

 

日本史と世界史の教科書

 

主に戦地となるのは、第二次世界大戦(太平洋戦争)とその後の処分についてだ。

教科書執筆に選ばれた教授がお茶の水の某ホテルで缶詰にされて「可哀想だ」と言われるが、ホテルから出てきた某教授は随分と満足げで膨よかな様子のギャップは面白いのは置いておき、

結論から言うと、「歴史教科書問題はくだらない」ということだ。

理由は二つ。

一、あらゆる記録がデジタルで残る21世紀において、教科書にの価値は相対的に低い。

二、高校生は日本史教科書を読まない。

 

一は、「政府の見解が誤っている」と指摘すればそれで十分で、後世の人が検討してくれるからだ。もう政府の思惑で主張が消される心配は無用な時代です。

「公式が言っているだけ」という素晴らしい表現が現代にはありますが、これまでの研究とは比べ物にならないほど現在の史料の検証は容易です。あなたの主張は半永久的に、かつての書物以上に残ります。

仮に政府が誤っていても、「公式(政府)が言っているだけ」で済ませられるのです。

 

と言うと、「(政府の見解を)学生が学ぶのは相応しくない」と思うでしょう。

しかし、理由二の遠り、今の学生は日本史の教科書なんか真面目に読みません。

最も発行されている『詳説 日本史B』(山川出版社)が最も対策になると言われている東大入試ですら、「山川だけで対策するのは危ない」と言われていますし、実際に試験で歴史問題に関わる問題は出題されません。共通テストも同様です。表記が変更されたところを出題しません。

「政府の見解が反映された歴史教科書で学ぶのは悪影響だ」と心配しても、そもそも読まれないのですから問題ありません。

学生は試験に出るから教科書を読むのであって、日本の歴史問題を理解しようと読んでいる訳ではないことを理解すべきです。

一部、その(誤った?)教科書を読み込んでいる学生がいたとして、それだけの読む能力があるなら他の書物と読み比べます。受験期に一冊の教科書を完全に理解するほど読み込んで、かつ受験後に他の書物を一切読まず教科書を信じ続けることなどあり得ないことです。

学生をロボットか何かと勘違いするほど、時代錯誤も甚だしいところでしょう。歴史認識を改める前に、現代の認識に対応することを勧めたい。

 

結局、現在教科書問題を声高に批判する人は、よほど勉強をしなかったか、もしくは教科書を狂信していたかに限定されます。

そんな人物に歴史を批判する能力があるとは思えないのです。

 

繰り返しますが、「公式が言っているだけ」は歴史問題においても上手いことを言っていると思います。

「公式が間違っている!だから書き換えろ!」は、一般人からも編集マンからも厄介オタクに変わりないのです。

 

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