前回:【あえいうえおあお】宮司アナは理想の上司だが、藤本万梨乃アナが妻だった。【フジテレビ】
少し前に放送されたフジテレビの『あえいうえおあお』の第二回を観ました。
録画はしていないし、そもそもテレビがない。違法ダウンロードで観るほどリテラシーとデリカシーは捨てていないので、FODを契約して観ました。
『あえいうえおあお』を観るためだけにFODプレミアムに2ヶ月登録しているのは多分ボクだけだろう。養分です。他にいらっしゃるならお知らせください。
例に倣って、今回の小山内アナを存じ上げませんでした。申し訳ございません。
じゃあ、知っているアナウンサーはいるのか、と聞かれれば、先日アナウンサーの話題になった時、「カトパン」と「ショーパン」と「ミタパン」と「フジパン」しか出てきませんでした。
「フジテレビすごい」と思うと同時に、アナウンサーとしての業務と知名度の有無に関係があるのか分からないし、何か失礼なことを言ってしまったら怖いので適当に流しました。
とは言え、この第二回の小山内アナや、偶に他のアナウンサーの仕事ぶりを聞くたびに、女性アナウンサーってキャリアウーマンだなと月並みな感想とある種の憧憬を抱いたのでした。
さて、
小山内アナの顔の造形が良いのは置いておき、サウナの場面がありました。
サウナーとして熱く共鳴しましたが、小山内アナが入水するとなぜかボクも冷静になりました。
「女性がサウナに入っているのを初めて見た」
なぜか勝手に禁忌を犯してイケナイ気持ちになった。
ボクの周りが特殊なのか、サウナ好きは100%男性。
もちろん、サウナ好きの女性もいるのは想像できるが、出会ったことがない。
ましてや、今回のようにサウナに入る女性を見たのは後にも先にもないのかもしれない。
すなわち、ボクにとって
「女性サウナがあることや、そこでサウナを楽しむ女性がいること」に関心がなかった。
なぜなら周りのその現象が起きなかったから。
なんかこの考え方、どこかで見たなと思い返していると、ある一節に辿り着いた。
「さっき、あなたが呼んでくれるのが遅かったから、変なことを考えちゃった」
たばねた髪を窓に映して、佳奈が言う。
「どんなこと?」
「男湯は存在するのか、って」
「佳奈にとっては不要だろうけれど、とりあえず存在しているよ」
「あなたの言うとおり、存在している必要がないのよね。極端な話、あの壁の向こうには、ただのがらんとした空間があって、お風呂の音を録音したCDプレイヤーがあるだけだとしても、わたしには何の支障もない」
(中略)
「銭湯の天井が左右対称なのは、『天井が左右対称だから、浴場の構造も女湯と同じだろう』って女の人たちに思い込ませるためなんだ」
「はいはい。……でも、必要のない存在って、必要なのかな」
引用:早瀬耕『グリフォンズ・ガーデン』(ハヤカワ書房)
交際している男女の会話です。
認識していない部分が存在していることを無理に認識する必要はない(問題はない)けれど、存在している必要はある。
人対人であれば、自分と出会う前の(認識していない)過去が存在しているから、出会った(認識した)人がいる。
そんな感じでしょうか。
そんなことより、ブルーベリー畑で「aikoさんとか」と言った小山内アナの表情が良い。
ブルーベリーが目に良いのは誤情報でも、小山内アナの顔が目に良いのは確かだ。
(後藤さんではないが)突っ込むならば、水風呂は寒いと感じる前に出た方が良い。
水風呂は16度が良いとか言われるが、なぜか水風呂の温度計は壊れていることの方が多いので、ぶっちゃけ適温は未だに分からない。けれど、寒いと感じる前に出ないと整えない。
と思ったが、
学生時代に使っていたインフィニティチェアに座って、整ったのか超凛々しい顔をしている小山内アナを見ると、サウナの蘊蓄など無意味だと分かった。
その顔は確かに、キャリウーマンだった。
チャウコン
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